2002年12月
山本ニューミュージック


趣味
○古本収集○
(主にミステリ、SF、童話)
○漫画収集○
(主にホラー)
○中古レコード収集○
(主に歌謡曲)


サイコ工場
                        
暗府露の冬 (あふろのふゆ)

「い、いらっしゃい、ま、せ・・・」
ふと振り向いた夢子は飛び上がらんばかりに驚いた。店内にはいつの間にかひとりの女性客が立っていた。真っ白な肌の色、ギリシャ彫刻を思わせる彫の深い顔立ち、そして何より夢子の目をひいたのは、腰まで届こうというその豊かな黒髪だった。外国人だろうか。「ハンドウラ・ハコと言います。般若の般に、トビラの戸、壇ノ浦の浦で般戸浦です。父が山崎ハコのファンだったので、私にハコと名付けたんです」夢子の心のうちを見透かしたようにそう言うと、彼女は穏やかに微笑んだ。彼女は完璧に美しかった。神々の微笑だ、と夢子は思った。しかしその美しさは、瞼を閉じれば消えてしまいそうな儚さも感じさせるのだった。
「今日は、カットですか?」「いいえ、ハサミを使わないで頂きたいんです。この髪全部を使ってアフロにして頂きたくて」「アフロ、ですか・・・」「ええ、アフロです。とびきり物凄いアフロをお願いします」「でも、こんなに綺麗な髪なのに、勿体ないじゃないですか。それに、カットせずにパーマをかけたら、本当に物凄いことになりますよ」「分かってます。このお店ならやってくれると思って来ましたの。出来ますよね」
そこまで言われて引き下がれるわけがない。やってやろうじゃないの。あたしを甘く見るんじゃないわよ。
  《とってもたのしい!アフロ・パーマのつくりかた》
  1、まずは洗髪。ほこり、よごれをよく落としましょう。
  2、つぎにパーマえきをつけます。はだあれするので、かならずてぶくろをつけてね。
  3、ロッドをまきます。きつめにまきつけましょう。うまくしあがるかどうかは
    ここできまります。プロとアマチュアの差がはっきりでますね。がんばって!
  4、さあ、いよいよ熱をくわえます。プロは「ローラーボール」というきかいを
    つかいます。おおきなドーナツのかたちをしていて、まんなかのあなにあたまを
    いれると、ぐるぐるまわりながら、熱風をふきつけるのです。
    おうちでやるのはちょっと難しいですね。お友だちをたくさんあつめて、
    まわりからドライヤーでふきつけてもらうのがいいかな?
  5、しあげです。ロッドをはずして、アフロブラシ(アフロコーム)で形を
    ととのえるのですが、このとき
後はロッドを外して、コームで成形するだけなんだけど・・・。
いつの間にやら穏やかに寝息を立てている客を見やって、夢子はそっとため息をついた。なにしろ、でかい。我ながらよくやったものだ。ありったけのロッドをぎっしりと巻きつけられた毛髪の塊に、ローラーボールをセットするのは一苦労だった。
ロッドを外したら一体どうなるんだろう。
「いいですか、はずしますよ」客は相変わらず眠っている。ま、いっか。外しますよお.夢子が一個目ロッドに手を伸ばした、その時。
一瞬の出来事だった。全てのロッドが弾け飛んだ。毛髪の山が爆発した。何かが壊れる音が立て続けに起こり、店内は黒い繊維でいっぱいになった。何、何が起こっている?身動きが出来ない。何も見えない。息をするのも苦しい。このままでは、死ぬ、かも。訳がわからないまま、夢子は覚悟を決めた。コンクリートが崩れる途轍もない音がして、視界が開けた。店内に収まり切らなくなった毛髪の洪水が、遂に壁に穴をあけ、下界に活路を見出したのだ。
 夢子は見た。絨毯のような軍隊ありの行進を、身をくねらせて溢れ出る海へびの群れを、どす黒い煙が噴き出すのを。毛髪の濁流は止まらない。客が座っていたはずの場所は今では何やら闇のようなものに包まれている。遠くで急ブレーキの音が聞こえた。悲鳴。どよめき。爆発音。そしてまた悲鳴。つづいて急ブレーキ。私はとんでもないものを解き放ってしまったらしい。あれは、ただの毛髪じゃない。混沌であり、混乱であり、暗闇であり、そしてそれら全てをひっくるめた始原的恐怖だったのだ。そもそも、彼女の登場の仕方からして、おかしかった。あれほど美しいと思ったその顔さえ、今は全く記憶に残っていない。この世の人間であるはずがない。−そんなことは最初から分かっていたのに。彼女は自分で言ったではないか。
「私はパンドーラの箱です」 と。
 濁流はようやく止んだようだ。店内を埋め尽くした黒い繊維も今はなく、そのかわり、崩れた壁から見下ろした市街は見渡す限りの黒い霧に包まれていた。夢子は破壊され尽くした自分の店を見渡した。掃除が大変。こんなときにも関わらず、ぼんやりとそんな事を考えていた。と、視界の隅で何かが光った。黒髪の爆発が起こった辺りだ。夢子はしゃがみこんでそれを拾い上げた。銀色に輝く、愛用のハサミだった。
「・・・ひょっとして、これが最後に残った『希望』?」
  彼方からは相変わらず断続的に不気味な音が聞こえる。夢子はハサミを握り締めた。
「やってやろうじゃないの。あたしのこの手で、このハサミで、もう一度、光を、秩序うを、喜びを、こ

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夢子は原稿から目を上げた。
「あのー」「はい?」
「途中までしか読んでいないのに申し訳ないんですけど、ひとつだけ聞いていいですか」「なんですか?」
「ひょっとして、この後「実は夢でした」で終わるんじゃないでしょうね」「あれっ、よく分かりましたねぇ。だってほら、夢屋だけに夢オチってことで」
「・・・。おーい山田君、座布団全部持ってっちまえ!!」
”はぁ〜い”どこか遠くで、間延びした返事が聞こえた。


[完]